第29回 フェブラリーステークス GⅠ 2012年2月19日 晴れ 良馬場 東京競馬場・ダート1600m テスタマッタ 牡、鹿毛、2006年3月19日生 父/Tapit by Pulpit 母/ディフィカルト by Concern 生産者/Waterford Farm(米国) 馬主/吉田和美 氏 調教師/村山明(栗東)  「俺、この街を出ていくよ。どうやらここに俺の居場所はなさそうだ」  シュウちゃんがそう言い残し、ふらっと姿を消したのは5年以上前。そのシュウちゃんが突然私の前に現れたのは、〝キング・オブ・ポップ〟マイケル・ジャクソンが心肺停止の状態で発見されたというショッキングなニュースが届いた数週間後のことだった。  「すごいなぁ、見たかジャパンダートダービー。距離延長なんてまったく関係なかったな。強い馬はやっぱり強いんだ」  呆気に取られている私が口を挟む間もなく、矢継ぎ早に言葉を重ねてくる。  シュウちゃんをそこまで興奮させているのは、テスタマッタという米国産馬だった。のちに米国で3年連続チャンピオンサイアーとなるタピットの初年度産駒で、祖母にメイトロンS(米GⅠ)勝馬ウイングズオブジョーヴがいる良血馬。米国の2歳トレーニングセールで取引され、その落札価格は6万ドルだったというから驚くような高額馬ではない。決して大きな注目を集める存在ではなかったが、5番人気で迎えた2歳10月の新馬戦(京都・芝1600m)は強かった。スタートで出遅れてヒヤっとさせたものの、最後の直線で狭いところを縫うように進出し、ゴールではのちにシンザン記念を勝つアーリーロブスト、3歳春のニュージーランドトロフィーで2着するティアップゴールドらを力でねじ伏せた。  当然、関係者の間で夢は大きく膨らんだが、その後は芝レースで4着、7着、10着、12着。まったく見せ場を作ることもできない走りをつづけたため、陣営は目標をダートに切り替えた。その初戦は、同期の精鋭馬たちが日本ダービーのゲートに入る約2時間半前の東京競馬場6Rに組まれたダート1400m戦。降りしきる雨の中、スタート直後に大きな不利を受けて最後方からの追走となったが、最後の直線で大外に持ち出されると矢のように伸びて先頭ゴールイン。これですっかりと自信を取り戻したのか、つづく出石特別(阪神・ダート1200m)も強烈な末脚を武器に古馬陣を圧倒。その勢いは大幅に距離延長となった3歳ダートの頂上決戦・ジャパンダートダービー(大井・ダート2000m)でも止まらず、スーニ、シルクメビウス、ゴールデンチケットらの人気馬を置き去りにして先頭でゴール板を駆け抜けた。  「ダート替わりで1400m戦に勝ったと思えばスプリント戦でも勝って、そして2000mのナイター戦だ。しかも、3戦すべて違うジョッキー。馬は自分がこれから走る距離なんて分かるわけないから、これはなかなかできない芸当だ。凄い馬が出てきたもんだな」  興奮冷めやらぬ気持ちは分からないでもないが、その前に聞きたいことが山ほどある。のちに人から聞いた話によると、シュウちゃんは数キロしか離れていない町で職を転々としながら〝自分の居場所〟を探してもがき苦しんでいたらしい。     四国地方にある山間の片田舎で生まれたシュウちゃんが親の転勤でこの街にやってきたのは、たしか小学校高学年の頃だったと思う。スラっと背が高く、運動神経も悪い方ではなかったが、やや内向的な性格だったと記憶している。ちょうど反抗期を迎える年齢での転校とあってなかなかクラスに馴染めず、いつも教室の隅に置かれた自分の席で本を読んでいた。たまに口を開くと、「俺のじいさんはアメリカ人なんだ」と誰も信じない嘘をついていたのは劣等感の裏返し。ただ、そんな心の声は小学生に理解されるはずもなく、似たような他愛もない嘘が繰り返されるたびにクラスメートとの距離はどんどん遠くなっていった。  地元の高校を卒業して町内にある会社に就職したものの、2年と持たずに退社。そのわずかな経験を生かそうと起業もしたが、現実社会はそんなに甘いものではない。あの時吐いた「ここに俺の居場所はない」というセリフは、「自分を認めてくれる人が誰もいない」ということを意味していたのだろう。  「だいたい、中央競馬はダートの番組が少なすぎる。ダートの番組がしっかりと組まれていれば、埋もれてしまっている中にも活躍できる馬はたくさんいるはずだ」  突然そんなことを言い出したのも、なかなか結果を出せない自分自身への苛立ちから来るものだったのかもしれない。  そうは言うものの、確かにシュウちゃんの指摘には一理はある。かつて中央競馬で行われていた古馬のダート重賞は「札幌記念」(当時、札幌競馬場に芝コースはなかった)ただ1つだけだった。それが1984年、〝日本の競馬の伝統を尊重しながら世界に通用する強い馬づくりを目指すこと〟と銘打たれた大改革により、さまざまな競馬番組の変更が施された。その〝目玉〟は、それまで3200mで行われていた秋の天皇賞を2000mに短縮し、ハンデ戦だった安田記念を定量戦にするとともにマイルチャンピオンシップを新設してマイル路線を充実させるというものだった。  そんな華々しい芝GⅠ競走改革の陰で、フェブラリーハンデ(現・フェブラリーS)、ウインターS(現・東海Sの前身)と2つのダート重賞が新設された。それに加え、持ち込み馬(受胎状態で輸入された牝馬が日本で生んだ産駒)を内国産馬として取り扱うと同時に、外国産馬が出走できる競走の割合を10%から15%まで広げることなどが決められた。  それ以降、ダート番組は徐々に増えていき、現在ではオールエイジのJRAダート重賞が13レースにまで拡大されている。また中央競馬と地方競馬の交流が盛んになり、ダートを得意とする馬たちにとって活躍の場が広まった。  この大改革がなければ、バトルラインやゴールドティアラ、サウスヴィグラスなどダートを主戦場とする外国産馬たちは活躍の場を失っていたかもしれないし、そもそも日本へ輸入されていない可能性が高い。2004年のカフェオリンポス以来、外国産馬として2頭目のジャパンダートダービー優勝馬となったテスタマッタも、その恩恵を被ったニュースター候補の1頭だった。  しかし、その後のテスタマッタは、燃えすぎる気性が表面化して国内外の名手たちを手こずらせることになる。3歳秋の浦和記念はC・スミヨン騎手が騎乗して3着、4歳初戦の川崎記念は岩田康誠騎手に乗り替わったものの3着。そもそもスタートがあまり上手ではない馬だが、それ以上にゲートから気合を入れると、そのまま一気にトップスピードで暴走しかねないような雰囲気を醸し出している。  「こんなはずじゃない。誰か馬にゴール板の位置を教えてやってくれ」  シュウちゃんは悔しさをにじませてそう嘆くが、私は逆のような気がする。コーナーを4回以上まわる浦和競馬場や川崎競馬場で、C・スミヨン騎手も岩田康誠騎手も1周目の直線入り口からゴール板を通り過ぎるまでに最も神経を張り巡らせていた。それは、テスタマッタ自身がゴール板の位置を分かっていて、そこで全力を出し切ろうとしてしまうからではないだろうか。  「ワンターンコースなら…」と挑んだ4歳時のフェブラリーSは、1歳上のジャパンダートダービー馬サクセスブロッケンには先着したものの、先行力を武器に快進撃をつづけていたエスポワールシチーには2馬身半届かず2着。シュウちゃんの口数が極端に減り、再びその姿を見かけなくなったのもこの頃だ。  「もう少し、器用な生き方ができないものかねぇ」  競馬とはまったく別の会話を複数人でしている時、誰かが発したその言葉で私はテスタマッタとシュウちゃんのことを思いだした。  「そうか…。馬も人も、器用に生きられない奴っているんだな」  人生と同じで、競走馬のピークは短い。我が道を行くテスタマッタやシュウちゃんに、「もうひと花咲かせてあげたい」と願うのは大きなお世話なのだろうか。  そんなことを考えていた2011年の春、5歳となったテスタマッタのレースぶりに少しだけ変化が見え始めた。行きたがる気性はそのままだが、前に壁を作ることさえできれば以前ほど抵抗することなく、我慢がきくようになってきたのだ。その成果が現れたのは、東日本大震災から1か月後に行われた被災地支援競走のマーチS。後方で折り合いをつけながら道中でポジションを上げていき、直線のロングスパートで1年9か月ぶりの勝利。苦労に苦労を重ねてきた関係者たちの努力が、ようやく実った瞬間だった。そして暮れの東京大賞典では、勝ったスマートファルコンに食らいつくように先行して新しい一面を見せた。  6歳初戦の根岸Sで3着し、7番人気で迎えた第29回フェブラリーS。前に壁を作りづらい大外16番枠からのスタートとなったが、ジャパンダートダービーでもコンビを組んだ岩田騎手がギリギリのところで我慢させると、最後の直線ではまるで何かの呪縛から解き放たれたかのように大外を豪快に伸びて2馬身差の快勝。2着は前走の根岸Sで後塵を拝したシルクフォーチュンで、3着にはこれまで何度も煮え湯を飲まされつづけた同世代のワンダーアキュート。前年覇者で単勝1・5倍の圧倒的1番人気に推されたトランセンドは、直線で馬群に飲み込まれて7着に沈んだ。  一度は頂点に立ちながらも、その後は何度も脇役の座に甘んじてきたテスタマッタが再び主役の座に返り咲いた瞬間、私の頭にはシュウちゃんの顔が浮かんだ。居場所を与えられることは幸せなことだと思うが、居場所を探しつづける人生も悪くないのかもしれない。  その後もテスタマッタは優等生になることなく、8歳2月まで個性派としての競走生活を貫いた。そして現役引退後は韓国で種牡馬となり、韓国2冠馬や同オークス馬などを送り出したそうだ。そんな生涯を送ったテスタマッタを、シュウちゃんは今どう思っているのだろうか。