第19話 レモンポップ 2024年12月1日 第25回 チャンピオンズカップ (GⅠ) 中京競馬場 騎手/坂井瑠星  近年充実著しい日本のダート界において、2023、24年と2年連続で最優秀ダートホースの座についた砂の王者。  それがレモンポップである。  ラストランは24年12月1日のチャンピオンズカップ。その前月にそこでの引退と、翌25年から日高町のダーレー・ジャパン・スタリオンコンプレックスで種牡馬となることが発表された。後述するように、結果として、競馬の神様がこのときを選んだかのような「血のバトンタッチ」となった ── 。  レモンポップは18年2月15日、アメリカで生まれた。父は芝とダートのGⅠ馬を複数送り出しているレモンドロップキッド。母は未勝利のアンリーチャブル。母の父はアメリカで2度リーディングサイアーとなったジャイアンツコーズウェイ。  典型的なアメリカ血統のこの馬は、キャリア18戦のすべてがダートであった。  美浦に厩舎を構える田中博康の管理馬となり、戸崎圭太を背に20年11月の新馬戦、カトレアステークスを連勝。  脚部不安で3歳シーズンのほとんどを休養にあて、約1年ぶりの実戦となった夙川特別と、22年初戦の2勝クラスはクリスチャン・デムーロが騎乗し、ともに2着。本領を発揮するのは戸崎に手綱が戻った次走の2勝クラスからで、秋のペルセウスステークスまですべて圧勝の4連勝。つづく武蔵野ステークスは鼻差の2着に惜敗するも、5歳になった23年初戦の根岸ステークスで重賞初制覇を遂げる。そして次走のフェブラリーステークスで、坂井瑠星を新たな鞍上に迎えて優勝。好位から楽に抜け出す横綱相撲で、GⅠ初参戦にして初制覇を果たした。これが開業6年目の田中にとって初めてのGⅠタイトルであった。  しかし、次戦、海外初出走となったドバイゴールデンシャヒーンでは10着に大敗。  帰国後は秋まで休養し、南部杯をレース史上初の大差勝ちで逃げ切るというド派手な復帰を果たす。つづくチャンピオンズカップも余裕を持って逃げ切り、不安視された初の1800mをあっさりクリアした。  6歳になった24年の始動戦は2度目の海外遠征となったサウジカップ。ここで12着に惨敗するも、帰国初戦のさきたま杯を2馬身差で完勝すると、秋初戦の南部杯を連覇。サウジの敗戦は何だったのかと思わせる強さを発揮し、ラストランとなる第25回チャンピオンズカップに臨んだ。  出走馬はフルゲートの16頭。  1番人気は1枠2番のレモンポップ。2番人気は前走のJBCクラシックでGⅠ初勝利をマークした前年の2着馬ウィルソンテソーロ、3番人気は同年のフェブラリーステークスの覇者ペプチドナイル、4番人気は芝でのオープン勝ちもある3歳馬サンライズジパングで、ここまでが単勝10倍以下だった。  ゲートが開いた。  レモンポップはメンバー中トップにも見えた速いスタートを切り、ハナに立った。すぐ外からペプチドナイルが来たかと思うと、その外からミトノオーが上がってきて、レモンポップの外に馬体を併せ、1、2コーナーを回って行く。  レモンポップが先頭のまま向正面へ。半馬身ほど遅れた外にミトノオー。レモンポップの直後にはクラウンプライド、その外にはペプチドナイルがつけ、ハギノアレグリアス、ペイシャエス、グロリアムンディらがつづく。怖いウィルソンテソーロはそれらの後ろの馬群のなかにいる。  3コーナー手前でも4分の3馬身ほど後ろからミトノオーに絡まれるような形のまま。同じ「逃げ」でも、早々に単騎先頭に持ち込むことのできた前年とはまったく違う展開になった。  しかし、その形で苦しくなったのは、レモンポップではなくミトノオーのほうだった。レモンポップは、3、4コーナーを回りながら後ろをじわじわ離して1馬身半ほど抜け出し、最後の直線へ。  坂井が手綱をしごくとさらに末脚を伸ばし、2番手を2馬身以上突き放して独走態勢に入る。そのまま圧勝するかに見えたが、ラスト200mを切ったあたりで外からウィルソンテソーロが凄まじい脚で追い上げてきた。1完歩ごとに差が縮まり、逃げ込みをはかるレモンポップにウィルソンテソーロが鼻面を揃えたところがゴールだった。  写真判定の結果、レモンポップが鼻差だけ前に出ていた。チャンピオンズカップ連覇は史上2頭目。2着ウィルソンテソーロ、3着ドゥラエレーデと、1~3着が前年と同じだったのは平地のGⅠでは史上初のことだった。名馬のラストランに相応しい、印象的なレースになった。  全身全霊をこめた愛馬の走りに、田中は、騎手時代を含めて初めて涙を流した。  通算18戦13勝、2着3回、着外2回。国内では16戦13勝、2着2回という無双ぶり。海外で結果が出なかったのは、環境の変化への適応などメンタル面が影響したのか。  18戦のうち16戦で1番人気になり、うち11戦が1倍台。日本のダート界の「安定王者」ならではの数字である。  ラストランから2週間も経たない12月13日、アメリカのレーンズエンドファームで繋養されていた父のレモンドロップキッドが世を去った。28歳だった。種牡馬は21年に引退していたが、最後の代表産駒が第2の馬生を始めるタイミングに合わせたかのような大往生であった。  サンデーサイレンスの血が一滴も入っていないレモンポップが、サンデー系の優れた牝馬との間にどんな仔を送り出すか。楽しみである。(本文中敬称略)